ブラック企業について、考えてみた

日本の社会が語られるとき、友達と何気ない話をするとき、ブラック企業というワードを聞くことが多くなりました。世の中には、びっくりするようなブラック企業のエピソードで溢れかえり、悲劇的に人が亡くなったりすると大きなニュースになっています。

 

大きな問題となっているブラック企業ですが、ちゃんとした定義は定まっておりません。

厚生労働省も「労働基準関係法令違反に係る公表事案」、所謂ブラック企業リストを作っているにも関わらず、きちんとした定義づけを行っていないのです。これは、よくよく考えてみると不思議な話で、ブラック企業が存在することが社会的に問題になっているのに、ブラック企業が一体なんたるものなのか分かっていないのです。

これでは幽霊を捕まえろと言っているようなもので、対策の講じようがありません。プレミアムフライデーだなんだといっていますが、結局、本質的な問題には何にも繋がらず愚策という形で終わりました。プレミアムフライデーを取り入れている企業が世の中にあるとしても、結局ポーズをとっているだけであり、業務の負担は変わらないだけでしょう。本質的な問題を無視した上での苦肉の策でしかないということです。

 

そもそもブラック企業の定義が決まらないのも、当然の話で、ブラック企業か否かを決めるのは、主観的な判断によるところが大きいからです。例えば、残業を無理強いされるような職場であったとして、やりたくない仕事を自分のプライベートの時間を使ってまで強制されたくないと思う人にとってはブラック企業になりえますが、単に仕事が好きでお金が欲しいと思うひとにとっては良い企業にさえなりえます。

つまり、ブラック企業とは、個々の理想の企業像・働き方にそれなりに大きい割合で依存されるものであるのです。ただ、ここではっきりさせておかなければならないのは、例えば、厚生労働省ブラック企業リストに載るような企業をはじめ、労基のお世話になるような企業、残業代を払わない企業はなべてブラック企業です。自信を持って、労基に相談しに行くべきだと思います。

 

ここから、自分が結論づけることはひとつです。

自分にとって嫌いな職場であったとして、それを安易にブラック企業に結びつけるのは間違っているということです。

自分にとって何の展望も持てないやりたくない仕事をしているならば、すぐに辞めれば解決する話です。自分がその仕事に大きな展望を持っているけれども、辞めたい気持ちが強くなってきたというならば、辞める前に何かしらの行動を起こしてみてもいいと思います。まあ、シチュエーション毎にどうするべきかということは分からないし、何が正解だったのかは分からない話だと思うので、結局は各々が覚悟を持って判断するべきことではないでしょうか。

 

また、ブラック企業に入りたくないならば、自分にとって理想の働き方をイメージさせておくべきです。企業の情報をできる限り収集しておけば、法律違反をやらかす企業であるかどうかは判断つくこともあると思います。

でもまあ実際、ブラック企業かどうかを判断するのは難しいでしょう。入ってみないと、社内の実情も分からないですし、部署や上司次第で職場の良し悪しも変わってきますから、くじびきのようなものです。

くじびきで職場環境が変わってしまうならば、本当はもっと転職しやすい社会になれば良いのです。人が自分の思うように生きて、労働市場が流動化すれば、市場原理でブラック企業は生きていけなくなるでしょう。

そんな社会になったら良いのにと思います。