【日本の闇】2年間の新卒就活をした末にブラック企業に入社したお話

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労働市場が売り手市場と謳われる中、2年間の新卒就活で大失敗した挙句、ブラック企業に入社し3か月で辞めた人間がいることをご存知でしょうか?
 
・・・ぼくです。
 
自分が職探しをして失敗してきたかを、状況がなんとか落ち着きつつある現在の状況から書いていきたいと思います。新卒就活で自殺する人とかいますけど、新卒就活で自殺するなんてバカバカしいですよ。自殺するなら、せめてもうちょいましな理由で自殺した方が良いでしょう。
 
たかが新卒就活で失敗したなと酷く落ち込んでいる人、こんなに早く仕事を辞めてしまって良いのだろうかと悩みを深くしている人に、こんなロクデナシでもなんとかなるという思いが届けば良いなと願います。
 
 
大失敗!!1年目の新卒就活
 
ぼくは2年間新卒就活をしています。
労働市場も売り手市場であり、2017年卒の内定率も97.6%を誇る時代にです。そんなボケナス就活をした背景には、自分の適性への勘違いと、なんとかなるだろうという勘違いがあったように思います。どんな就職活動をしたのか述べていきましょう。
 
ぼくにはやりたいことがありました。もの書きになりたいと思ったのは、いつのことだったか分からないのですが、就職活動の自己分析をしていく前から、そんな思いは心の中で根を張っていたように思います。
それでも、もの書きになると決断するには、遅すぎたようにも思えましたし、現実的じゃないとも思いました。現実問題、もの書きとして食っていけるのは一握りの才能を持た人間で、自分の才能を試すには遅すぎたと後悔もしましたし、プー太郎になるんじゃないかという不安もありました。ダメ息子ながらも中学校の頃から私立校に通わせてくれた親にも、そうなっては面目ないという思いもどこかにありました。もの書きになりたいと思ったのも、なんとなくそう思ったからで、根拠というものもありません。そうなってくると、もの書きという道はひとまず保留だなと考え、新卒就活という道を選びました。
 
新卒就活をするうえで、もの書きに近い職業で思い浮かぶのは、出版社でした。編集者として働けたら、かっこいいよなという邪心もありました。そんな邪心もあって、出版社の下請けの編集プロダクションという道は選ばなかったですし、自分の好きなものを書けないなら入ってもしょうがないじゃないかという思いもありました。もの書きになる情熱が足りなかったともいえるかも知れませんが、ともかくピンと閃くものがありませんでした。
2年間の就職活動はともかくハチャメチャでしたが、1年目は特にクソみたいな就職活動をしました。出版社を受けたのは業界大手ばかりです。出版社業界は、景気が好況・不況に関わらず、就職難易度の高い業界です。講談社や小学校、集英社といった会社は、倍率300倍近くです。よっぽど、何かオッ!と思わせるものがないと、まず内定は無理でしょう。
そんなところに学生時代、出版となにも関係がなかったことをやってきたぼくが受けても、天性から授かった編集者としての才能の片鱗を見せられなきゃ内定を貰えるはずがないです。編集者に受かろうと思う熱意でさえ、もの書きはキツイから、なんとなくカッコいいイメージのある編集者を受けようという魂胆なのですから・・・。
 
そんな倍率の高いところを必死になって受けにいくぼくは、大馬鹿者でした。出版社の筆記試験があるからと、サークルの先輩からの旅行の誘いやタイ旅行の誘いは全部キャンセルして、膨大な量の履歴書と筆記試験対策と面接対策に勤しみました。結果は5次試験まである出版社の採用フローのうち、良くて3次試験突破。出版社は最終面接まで到達できず、全滅しました。
 
ちなみに出版社以外の企業も受けてはいましたが、企業研究が足りずに大手企業ばかり。なんとなく、お菓子作りなんかできたら楽しそうだなというメルヘン脳から製菓業界や給料が高いからという理由でMRなんかを受けていたクソ大馬鹿チンカス野郎なのでした。
 
馬鹿なりに新卒就活は死ぬ気でやっていました。大学のキャリアセンターやホームワークにもさんざん面接練習をお願いしにいっていました。
それでも、面接で緊張のあまりに滂沱の涙を流してしまうことは治すことができないのでした。
 
結局、1年目の就活で内定を貰えたのは、中古車自動車販売業の1社のみとりあえず、内定だけでも欲しいからという魂胆で受けた企業です。内定を貰っても、そもそも自動車が嫌いだし、働くイメージが湧きませんでした・・・。
 
それに当時、顔面に火傷をおって顔面の半分がアザだらけだったり、就活のストレスが原因になったのか頭には気味の悪いデキモノができ、手術したりで、精神的に潰れていました。
結局もう1年就活しなおして、態勢を立て直そうということで就職留年を選択したのでした。
 

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学ばない男。公務員試験の失敗

 

ぼくがチェーンの外れた自転車を一生懸命漕いでいる間にも、大学の同期は自動車で見えないところにまで行ってしまっていました。ぼくは一応サークルの部長を務めていましたが、卒業式の後の追いコンでも半分ふて腐れながら、同期の卒業生を追い出す側に回っていたのでした。

ぼくが大学の在学生で就職活動をやっていた頃、なかなか内定を貰えない慶大生が自宅の窓から生卵を投げまくる事件がありましたが、そのニュースを半ば死んだような眼で見ながらも、ぼくの胸に広がったのは事件を起こした彼に対する深い共感と同情でした。

 

武蔵小杉の高級マンションから、就職活動にムシャクシャしたからという理由で生卵を怒った眼で投げまくる彼と友達になりたかったです。就職で苦労もしなかった人には分かるはずもないでしょう。こっちは曲がりなりにも働きたいと思っているのに社会からお前なんざ必要ねえからと切り捨てられる感覚は。まあ、そんなこともどうでもいいです。ぼくはイカれた就活をしていただけですから。

 

ところで、なにも学ばない男であるぼくは、2年目もしょうもない就職活動を行っておりました。1年目の就活の結果、ぼくは編集者になりたいわけじゃないんだ。もの書きになりたいんだと思い直しました。

 

そこでぼくが立てたのは、とりあえず公務員作戦です。

 

 とりあえず公務員になりさえすれば、17時に退社して、残りのプライベートの時間をもの書きとしての時間に割くことができる。ブラック企業かどうか分からない民間企業に就活するくらいなら、もの書きの妥協策として選んだ倍率の高い編集者になるくらいなら、公務員として働きながらもの書き目指すのがベストなのではないかと真剣に考えるようになりました。これなら家族にも迷惑かけることなく、もの書きを志せます。それに、コミュニケーション力が必要とされる営業職の募集が多い民間就活を行うよりも、自分の職業の適性的には公務員としての道を選ぶ方が合理的な選択でした。

それでも結果的にみれば、大失敗でした。残念だったね・・・

 

とりあえず、ぼくが2年目に受けようと思ったのは、東京都庁でした。理由は、なんとなくカッコいいから。ここまでくると邪心というか、ただの世間知らずです。あとは、地元の調布市と川崎市、府中市、国分寺市を受けました。結果は惨敗・・・

 

必死に勉強した試験は通っても面接で意味不明の涙をぼろぼろこぼしながら、受け答えはしどろもどろ・・・。残念ながら、ぼくは現世で生きるには向いていないようです

 

最終面接での屈辱

 

ぼくに絶望している暇はありませんでした。

公務員試験を終えた頃には、6月を過ぎ、世間的には就活終了シーズンです。こんなにガチで就職活動して今年ナイ内定(内定を持っていないこと)で終わったら、冗談にならない!大学のキャリアセンターに泣きつき、いくつか就職先を紹介してもらいました。

 

その中の1つが、ぼくの入社することになったブラック企業だったのです。その企業は医療系の商社で、最終面接の時には名古屋まで行き、抽象画を書けという意味不明の課題を出されました・・

ぼくは内定を貰うために焦りに焦っていました。それでも、あんな企業に行くべきではありませんでした

 

最終面接の圧迫面接を冷静に考えれば、内定を辞退するのが通常の判断だったのですが、その時のぼくは死ぬ気で焦っていたのです。

 

「お前は社会で生きていけない。だから、私たちの会社がお前を善意で拾ってやるんだ。せいぜい貢献してくれよ。」と半ば直接的に貶されても、「分かりました」としか言うことができない精神状況でした。

 

内定を貰った後も、最終面接の時に言われた悔しさで涙した時もありました。涙するくらいなら就職活動を続けるべきだったのに、そうしませんでした。後に起こったことを考えれば、いい加減な自分自身に反吐が出そうです。

 

内定はもらえたが・・・
 
やはり新卒就活のことだけでも、それなりに長い記事になってしまいました。内定した企業に入ってからというもの色んなことが起こりました。それらをこの記事で書き連ねていっても、長くなるだけですし、辛気臭くなるだけなので一応分割しておきます。書いているだけでも、疲れますしね。
 
よろしければ、次回の記事も読んでください。