自分が書評をはじめた理由と書評のメリットを書き出してみた

読書感想文とか嫌いだった・・・
 
ぼくが書評を書きはじめたのは、つい2ヶ月前のことです。
以前から、小説を読むことは好きでありましたが、読んだ感想を外に向けてアウトプットすることはありませんでした。小学校から、課題として出される読書感想文にはアレルギーがありましたし、なにより、自分が本を読んで感じたことが他人から見たら間違っているように思えました。他人に自分の意見を否定されるくらいなら、わざわざ意見なんぞ発表しないし、自分のために読んでいるだけだから!と意見を否定されることを前提に、勝手に自意識を膨らませているのでした。
 
本を読むのだって、自分の感性を研ぎ澄ますため、本を読んで吸収した考え方を脳内で発酵させて自分の哲学にしていくために読んでいるのであって、他人のために読んでいるわけではありません。
 
読了!! ・・・それで?
 
では、なぜ書評を書こうと思ったのか・・・?
それは、やっぱり自分自身のために書評を書いています。ぼくの場合、本を読み終えたら、コーヒーを飲み余韻に浸りながら、内容を思い返して、よし一勝負終わった。もう一勝負行くかなとさっさと次の本を手に取ります。
 
 これではすぐに本の内容も忘れてしまいますし、自分の印象に残った箇所しか覚えていないようじゃ、本を読むのだって、一つの戦いだとさえ考えているのに、あまりにもったいないです。実際に、昔読んだ本に関しては内容も忘れてしまっていたりもして、なんだかなって思いが強くなっていきました。それに本を読んでいるなかで理解できない箇所というのは、かなりの頻度で出くわすものです。本を読んでいて腑に落ちない箇所を分からないままにしておくのは、消化不良というものです。
 
書評を書くという行為を行うことで、本を読んでいた時には釈然としなかった点でも、読了後に本の内容の全体を思い返しながら、考え直すことができます。書評を書くことで、本の内容を深堀しながら考えていくことができ、効果的に本を読むことにつながるのです。
 
書評って難しい・・・
 
本の内容を知らない他人に、その本の良さを伝えることが書評です。
そのためには、正確に本の内容を理解し、自分の感じたこと・考えたことを整合していかなければなりません。自分では本をきちんと理解したと一人合点していても、書評を書いてみると、本の内容を他人に分かりやすいように纏めることが大変で、本を読んで考えたことも言葉にしていく段階で、案外ちぐはぐなものだったということに気が付かされます。これは、書評を書いている人にしか分からないことだと思います。
 
言葉を慎重に選び、頭を捻りに捻って書評を書いていくのですが、本の内容をうまく説明することができず、あまりにありふれた表現しかできない自分が歯がゆくて、情けなくなってきます。
正直、今、ブログに載せている書評もまだまだ人に見せられる代物ではないとさえ感じています。
 
書評のメリット
 
書評の一番のメリットは、自分の考えを深堀していくことができることでしょう。言葉遣いにも神経質になるし、ありふれた表現にならないように工夫もするので、文章力もあがるでしょう。
最初は他人になんだこれって思われたものを書いたところで、自分のために書評をやっていると思えば、気も楽です。
ブログに本の広告のリンクを貼っておけば、書評がきちんとしたものになっているのなら、お小遣い稼ぎにもなるでしょう。収益が出たかどうかを、書評の良し悪しの基準にしてみても良いかも知れませんね。