コミュ障がバックパッカーズ生活を送り続けた結果・・・【日陰者のワーホリ目録】
バックパッカーズ=陽キャの巣窟
さて、突然だが、ぼくはコミュ障である。
日本でもそれなりにコミュ障を発揮してきたが、英語が話せない分 、なおさらである。
バックパッカーズは、陽キャの集まりである。
おまけに海外の陽キャラはシャイな日本人とはレベルが違う。
ぼくはシャイな日本人のなかでも、特別シャイである。陽キャラどころか陰キャラの権化みたいなものである。自分でいうのもなんだが、ぼくの周りにはネガティブなオーラがわかめみたいにまとわりついている。
ぼくにもし多少なりともお金があれば、バックパッカーズなどという日陰もできないほどの太陽の広場に宿泊などすることはなく、静かな一人部屋に泊まりたいところであるが、シャイに加えて貧乏ときている。
バックパッカーズの6人部屋は、30ニュージランドドル(2,100円)あれば、余裕で1泊できる。
背に腹は変えられない。
日本の湿ってジトジトしている日陰からニュージーランドの眩しいところにテレポート(これは誇張表現ではない)するしかない!
そんなわけで、日本のネガティブがバックパッカーズに泊まるとどうなるか検証レポートを提出したいと思う。
バックパッカーズ最初の日
最初、ロトルアのバックパッカーズに泊まるとき、ぼくはビクビクしていた。
これは当然である。太陽の照りつけるアスファルトの上に置かれたアイスの気分である。ぼくの存在はすっかり溶かされるものだと思い込んでいたのだ!
受付でキッチンやシャワーの場所やルールを一通り聞かされるが、ぼくにはまるで聞こえちゃいない。耳から音は入ってくるのだが、脳みそが処理できない。
英語が聞き取れないからである。
「分かった?」と聞かれる。「サンキュー」と答える。
さっそく、コミュ障の本領発揮である。
30キロのスーツケースを片手に階段を上がり、息を弾ませながら部屋にたどり着くと、そこには色黒で下着姿の女性が二人ベッドでくつろいでいた!
これが陽キャなら、「ヒュウ!」と口をすぼませるところであろうが、ぼくはシャイである。なるべく見ないように心がけた。
これが日本製のジェントルマンである。
部屋のベッドでしばらく横になるが、どうも落ち着かない。スーパーに買い出しに行く。だが、まともな自炊ができないので、アボカドとパンとビールを買ってくる。
バックパッカーズに戻り、キッチンに行く。
唐突に「HEY!MEN!」と声をかけられる。おどおど「HELLO」と答える。
これが、海外の陽キャラというものである。
トーストを焼く。アボカドを切る。
ぼくのやることはそれだけである。
他の陽キャ宿泊者は、スパゲッティやマカロニを茹でてソースをかけて「ウェーイ」と言ったり、肉を焼いている。
ぼくは手持ち無沙汰である。
キッチンで一人ビールを飲み、うろつく。
キッチンドリンカーというのはこういうヤケクソから誕生する。
飯を食ったら、シャワーを浴びに行く。
6人部屋でスーツケースを開けるときはスペースがないのもあって、多少の遠慮がいる。いそいそとパンツを出す。
シャワーを浴び終えて、部屋でぼんやりしていると、同室者が明かりを消す。時刻は9時である。
寝るの超早い。
こうして、ぼくのバックパッカーズ生活がはじまった。
あれ・・・?意外とどうにかなる?
それは場所によるっ・・・!
ロトルアのバックパッカーズ生活は平穏そのものだった。
ある程度慣れてくると、こちらから声をかけることもできるまでにもなった。(気分がいいとき限定で)
ロトルアに滞在した後は、オークランドのバックパッカーズに宿泊することにしていたのであるが、ぼくはノーテンキでいた。もうすっかりバックパッカーズを攻略していた気になっていたのである。
だが、バックパッカーズはそんなに甘くなかった。
髭とTシャツで威嚇・・・
重い荷物を引きずって、オークランドの中心地にあるバックパッカーズの前に到着したわけであるが、入り口の階段のところに酒を飲んだ白人たちがたむろしている。なんかめっちゃ大声で笑っている。ぼくは自分が笑われているんじゃないかという気になってくる。
だが、これは自意識過剰というものである。
チェックインをし、部屋にたどり着く。
部屋が服とバックとスーツケースの海で足の踏み場がない。それになんかすげえ臭い。
扉の近くのベッドからモヒカン頭の男がじっとこちらを見ている。
なんか泣きたくなる。
気を取り直して、屋上のキッチンに行く。
爆音で、なんかのR&Bがかかっており、それに負けずとも劣らず、白人たちの笑い声がこだまする。もはや英語すら話されていない。男と女の接触がすごい。さながら、サバトのような空間である。
辛ラーメンを作る。一番手っ取り早く、それなりに美味しいものが作れるからだ。
ぼくは辛ラーメンを食いながら、オークランドの高層ビルを眺めていた。辛ラーメンを食いながら、夜景をみる機会もそうそうないと思う。
さて、部屋に戻ると、いきなりコロナウイルスと言われる。
いきなりの時事ネタである。
「俺は二ヶ月ニュージーランドにいるから大丈夫」と言う。
コロナと言った奴は首をしかめて苦笑いをする。人のことをコロナと言って満足できる
自尊心ならけっこうなものだ。
ぼくは戦闘モードになる。
要するにネガティブオーラを全開で垂れ流すわけである。
次の日、ガチガチのマスクを渡される。
これは嫌がらせというものである。どうして、そんなものを持ち合わせているのかは知らない。意地でもつけなかったが、あまりにムカついたんで、夜に窓からマスクを放り投げてやった。
ざまあみろである。
おまけに、後日、「大麻」吸わないかと誘いを受けることになる。
当然、断った。
部屋は窓を少し開けカーテンを締め切ったうえでの、大麻パーティである。
さっさと逃げる。
さて、臆病なぼくがなんとか生きていけたのは、二つの理由がある。
一つ目は髭である。
髭面でいることによって、若く見られがちな顔を老け顔に見せかけることができるのである。鏡を見ると、いつもと違う顔であるため、即席の別の自我ができるのである。
二つはTシャツである。
ぼくはパジャマとして、下の真っ赤なTシャツをきていた。
これを着ていると、人を殴っているような気がして、気分爽快なのである。
ガキとか精神年齢低いとか、言わないで欲しい。
頼むから。
コミュ障でも生活はしていける
実際、コミュ障でもなんとかなるものである。
ていうか、挨拶されたら挨拶で返すとか、基本的なことができれば普通に生活していける。
それと、海外の女性は適当である。
男女混合の8人部屋に平気で生活しているし、なんなら、隣の二段ベッドで下着を干していたりする。ここまで大胆だと、いかにかわいい女の子が隣にいようとも興奮もしない。ただ、隣のベッドに下着が干してある。それだけである。
人間というのは、結局慣れれば、動揺することは少なくなる。
あ、あと、大事なことを忘れていた。
盗難への防止策は必須である。スーツケースは鍵付きのもので、南京錠もいくつか持っていった方が安全である。
だが、二ヶ月近く共同生活をしていると、そろそろ一人部屋が欲しくなる。
今も隣でスペイン語が喧しい。マジで。