ドストエフスキー『永遠の夫』を読んだので、拙い書評を書いていく

 

永遠の夫 (新潮文庫 (ト-1-6))

永遠の夫 (新潮文庫 (ト-1-6))

 

 

今回はドストエフスキーの『永遠の夫』を読みました。考察を交えた書評を書こうとおもったのですが、ドストエフスキーの考察は難しすぎるので、ドストエフスキー好きの自分にとっては不本意ではありますが考察は断念しました。そんな訳で、この記事は単なる紹介文みたいな感じになってしまいました。ドストエフスキーの考察は、またの機会にリベンジしたいと思います。

 

ドストエフスキーといえば、エネルギッシュな文体にストーリー構成の巧みさや登場人物の強烈な個性が光る小説を書きます。熱病に浮かされているような心理描写や緊迫感のある劇的な場面の描写の面白さに没入してしまう感覚に陥るのは、ドストエフスキー以外の小説では中々ありません。ロシア文学特有の人名の変化や登場人物の多さに慣れれば、ドストエフスキーの小説は面白く読めます。

小説にちりばめられたドストエフスキーの思想は難解で、読み終えた後も、あのシーンには一体どんな意味が含まれていたのだろうと腑に落ちないわだかまりが残り続けます。読み終えた後もなんとなくモヤモヤしながら、再び読み返してみたり、ぼんやりと考え続けているのも、ドストエフスキーの小説の面白いところだと個人的には感じます。

 

さて肝心の『永遠の夫』ですが、寝取られ夫の復讐物語です。「永遠の夫」というと取りすましたような訳題ですが、訳者の千種堅氏が解説で述べていたように「万年亭主」と訳を変えると、どんな小説かイメージしやすくなるのではないでしょうか。「永遠の夫」というと女性にとっての男性の理想像をイメージしてしまうと思うのですが、ただ亭主でいること以外には能がない情けない男のことを指しているのです。この永遠の夫ことトルソーツキーの小人物ぶりをはじめ、強烈な個性をもった人物の演じる喜悲劇はドストエフスキーにしか書くことができないと思います。

 

特に夫であることに執着し続ける寝取られ夫のトルソーツキーは、あまりに情けなく、これは不倫されてしまっても・・・と思ってしまうような要素をてんこ盛りにしたような人物として書かれています。子どもとかくれんぼをして遊んでいるときも、部屋に鍵をかけられて閉じ込められる始末・・・馬鹿にされても仕方がないようにも思えます。

かつてトルソーツキーの妻と不貞を働かせた物語の話し手ヴェルチャーニノフの元にトルソーツキーがやってきて、妻が亡くなったことを告げるところから物語が動きだします。トルソーツキーがヴェルチャーニノフと亡くなった妻との愛人関係を知っているのか否か分からない状況のなかで繰り広げられる心理戦が見ものなのですが、終始トルソーツキーの不可解な言動により、ヴェルチャーニノフも読者も困惑させられます。

屈折した登場人物たちの人間ドラマと先が全く読めない展開に夢中になって読んでしまいました。

 

読みようによってはサスペンスとしても読むことができて、ストーリーのテンポも良いので、ドストエフスキー入門としておすすめですし、間違いなく名作です。