【書評】モームの『人間の絆』を読んでみたら、すごい共感した!
先日の『月と六ペンス』に引き続き、モームの代表作『人間の絆』の感想を書いていきます。モームは最近読み始めたのですが、波長が合うのか、『月と六ペンス』も『人間の絆』も読んでいて、グッとくるものがあります。
まず、『人間の絆』がどんなあらすじかを紹介します。
【上巻】
【下巻】
モーム自身の遍歴を元に描かれた自伝小説で、モーム自身も両親を幼いうちになくし、医療助手として医学にも携わったことがあり、小説家になっています。ただ、ところどころ、小説として話を整えるための脚色はあり、例えば、ハンディキャップの部分だと、モームは吃音症だったのに対し、フィリップは肉体的な足の不自由だったりします。
それにしても、ぼくは、このフィリップという主人公にかなり共感してしまいます。内面が傷つきやすく、恥ずかしがり屋で、自分の気持ちに嘘が付けません。人の目にいつもビクビクしているぼく自身も、他人事とは思えず、自然にフィリップに感情移入したしまっていました。フィリップが、一見フラフラとした人生を送っているのも、自分の気持ちに嘘がつけないからであり、自分の人生に真剣になりすぎて、理想ばかりを追いかけてしまっているのです。生きていくのが無器用なところも自分と似通っているように感じてしまい、読んでいて疲れてしまうところもありました。フィリップが首ったけになったミルドレッドへの恋も、なんだか自分自身を見ているようであり、ああ、なんだか凄い分かるよ。その気持ち。って感じで読んでいたりもしました。
さて、この小説に根差している大きなテーマは、「人生とは何か」ということです。
フィリップは、人生の意味を求め続けます。最初は、宗教に意味を求め、芸術に意味を求め、時に恋愛の中に意味を求めます。物語の終盤、フィリップがどん底の状態になった時に、初めて『人生は無意味である』ということを悟るのです。
この物語の中でぼくが一番印象に残っているのは、ペルシャ絨毯の話です。
人生がフィリップが物語の中盤で出会う人物の中に、クロンショーという詩人が出てくるのですが、彼は人生の意義を知りたければペルシャ絨毯を見れば分かると謎を出します。物語の終盤まで、フィリップはこの発言の意味を理解することはできないのですが、人生とは無意味であるということを悟った際、ペルシャ絨毯の謎も解くことができるのです。
ペルシャ絨毯の話を自分流に解釈すると、つぎのようになります。
人生が自分の思うようにならず、自分の行動の一切が自身の選択以外の力によって捻じ曲げられてきたと思われるならば、自分の人生をペルシャ絨毯の意匠を観ずるように俯瞰してみることもできるはずである。
人生を俯瞰して見た時に、複雑な柄で織られたペルシャ絨毯が美しいものであるのと同様に、人生もその途中ではどんなものになるか分からなくても、死が訪れて人生が終えた時に、それは一つの芸術品のような完成形になっているはずだ。
人生の半ばで、どんなに不条理で大変なことが起ころうともどんなに喜ばしいことが起ころうとも、ペルシャ絨毯が織られていく過程で青い糸や黄色い糸が使われるのと同じように、人生というものに彩りを加えるものに過ぎない。
そして、自分のペルシャ絨毯がどのような柄になっているのかは、自分の人生を生きてきた自分にしか分からないのだから、自分の好きなように生きていくべきだ。
自分はこうありたいということを願っても、世の中には不条理というものがあり、どんなに努力してもそれが成し遂げられなかったり、逆にそんなに努力せずともラッキーで成し遂げることがあるときもあります。
『人生が無意味』というのは、人生を深刻に捉え、こんな人生を送りたいと望んでも、どうしようもないことだということを言っているのであり、人生を真剣に生きていくことを否定しているわけではありません。
不確定な未来よりも、今ある一瞬一瞬を大切に生きることの大切さを伝えたいのではないのでしょうか。
おそらく、読んだ時期やひとによっても、着目点や感想は全然違う作品だと思います。
読後感もすごく良いので、読んで後悔するような小説では絶対にないです。
よければ、是非『人間の絆』を読んでみてください!